OSTIA ANTICA      「穀物供給」の中継地
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古代都市
 

概要

オスティアはローマから南に下ること、約30キロメートル、ティレニア海から少しティベル川を上った所に位置していたローマ時代の遺跡である。この都市は紀元前4世紀頃、要塞都市として建設され始め、やがて、ローマの地中海世界への勢力拡張と共に海港都市として重要な拠点となって行く.と言うのも、オスティアは他の都市のように公道を通じてのみならず、ティベル川を上流に上って行くことにより直接、首都ローマとも繋がっていた都市だったからであり、必然的にローマに対する重要な交易および穀物供給の中継地として栄えることとなった。
最盛期には、オスティアはおよそ5万人〜10万人もの人口を抱えていたとも言われ、ポンペイが約1万2千人程度の人口であったことを考慮してもオスティアの繁栄ぶりは相当なものであったことを十分に予想させる.この都市の繁栄に陰りが見え始めたのは紀元後330年、コンスタンティヌス大帝によるローマからコンスタンティノープルへの遷都に伴なうものであったが、一説によれば6世紀頃までは何とか往時の壮麗な景観を保っていたとも言われる。いずれにせよ、4世紀から6世紀までの衰退は続く数世紀の間で加速的に進行し、以降20世紀に至るまでオスティアは文字通りの「忘れ去られた都市」となり、結果としては幸運にも現在、我々にかつての都市の景観の名残を余す所なく見せつけることとなったのである。現在、オスティアはその往時の姿を相当程度の保存率で留めており、ポンペイ、ヘルクラネウム遺跡と並ぶローマ史研究上、重要な遺跡の内の一つである。



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Map(*Ancient)
Ancient Map Plan of Ostia Reconstruction of Ostia
目次
01.カピトリウム 02.墓地通り 03.墓碑、石棺 04.交易の中継地オスティア
05.ローマ人の日常生活 06.「皇帝よ、ご壮健あれ!」 07.補足 −モザイク− 08.終わりに