ポンペイ
| ポンペイの遺跡内の公共広場とその周辺の建物の様子 |
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ポンペイは紀元後79年にウェスウィウス火山の噴火で崩壊してしまった古代ローマ時代の都市の遺跡である。この遺跡にも他のローマ時代の都市と同様に公共広場があり、都市における政治・経済・宗教の中心地としての機能を果たしていた。
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| ポンペイの「フォルム浴場」内部の様子 |
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ポンペイの中心地フォルムに接している場所に公共浴場の遺構がある。動画では、まず脱衣所を一周し、微温室を通過、最後に熱温室へと至り、温水を吹き出していた水盤を映し出している。他にも運動場や冷温室もあり、浴場は非常にシステム化されていた。
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| ポンペイ遺跡内の「ケイウスの家」(casa dei Ceii)の様子 |
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この邸宅のアトリウムの壁面は赤と黄色を基調としている。また、アトリウムの奥の横臥食堂の壁面には、様々な異国の動物達を描いたサファリが描かれており、ポンペイの人々の自然への愛着と憧憬を感じることが出来る。
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| ポンペイ遺跡内の「ヴィーナスの家」の様子 |
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「ヴィーナスの家」と呼ばれる邸宅にはヴィーナスを描いた見事なフレスコ画が存在している。この邸宅は、アトリウム(玄関直ぐ奥の広間)とペリステュリウム(アトリウムから更に奥に入った大広間)の二つの広間を持っている。
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| ポンペイ遺跡内のアボンダンザ通りの様子 |
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フォルムへと直接繋がっているアボンダンザ通りには、水道設備、横断歩道、パン屋や飲み屋、及び豪華な邸宅が通り沿いに乱立していた。ここでは様々な選挙ポスター(例:「ガイウス・ユリウス・ポリビウスを二人委員に!」)や広告等も壁面に描かれていた。
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| アレーナから見たポンペイの円形闘技場の内観 |
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ポンペイの円形闘技場は前70年代頃に二人委員の寄付によって建設された。ここでは、剣闘士闘技の他に野獣狩り等が行われていたことが記録や墓碑のレリーフ等から分かっている。一番手前の席は有力な市民の特等席であり、彼らの名が席の手前に刻まれている。
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| 墓碑のレリーフに描かれた剣闘士闘技の様子 |
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ポンペイ出土のある墓碑には剣闘士闘技の様子を描いたレリーフが残っており、3段に分かれ、上段には闘技前の行進、中段には「剣闘士闘技」、下段には「動物狩り」の様子が描かれており、ローマ社会における剣闘士闘技の重要性を理解することが出来る。
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| ポンペイの邸宅に描かれていた「庭」を題材にしたフレスコ画 |
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ポンペイのある邸宅から出土したこの「庭」のフレスコ画は第III様式のものである。ここには、様々な鳥類、植物が噴水等と共に描かれており、しばしば邸宅内に設けられたペリステュリウムと呼ばれる広間を幻想的かつ彩色豊かに描き出している。
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| 「ファウヌスの家」出土のナイル川の動物達のモザイク |
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ポンペイの「ファウヌス(牧神)の家」からは「アレクサンダー大王」など様々なモザイクが出土しているが、この「ナイル川の動物達」のモザイクは異国情緒に溢れ、ポンペイの人々の並々なら無い自然やエジプトに対する憧憬や愛着ぶりを見事に映し出している。
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| 「ファウヌスの家」出土の悲劇用仮面のモザイク |
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ポンペイでも比較的大きく前2世紀初め以降の邸宅「ファウヌス(牧神)の家」から様々な果実や花々と共に二つの「悲劇用の仮面」が描かれたモザイクが出土している。ローマ時代ではしばしば用いられた題材であり、当時の劇用仮面の様相を窺い知ることが出来る。
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| エルコラーノに残る水道管と排水設備(下水道)跡 |
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ポンペイと共に紀元後79年に滅んだエルコラーノには当時の水道管と排水設備跡が残っている。水道管は各家の壁面に埋め込まれ、生活用水を各戸に満遍なく届ける仕組みとなっていた。ローマ人の高度な生活様式を支える為の技術力と公共性にも驚嘆させられる。
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ハドリアヌス帝の別荘
| ハドリアヌス帝の別荘の美しいカノープス(Canopus) |
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ローマの近郊ティボリに「ハドリアヌス帝の別荘」と呼ばれる壮大な別荘の遺構がある。この別荘内で特に目を引くのがカノープスであり、エジプトの都市カノープスの名から取ったもので、セラピス神殿や大理石像群と一体になった大プール型モニュメントである。
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| 「ハドリアヌス帝の別荘」の人工池に浮かぶ「海の劇場」 |
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ローマ近郊のティボリの「ハドリアヌス帝の別荘」の中でカノープスと並び往時の華麗さを偲ばせるのが、人工池とイオニア式列柱に囲まれた小島である。かの皇帝は統治中に敢行した世界旅行の思い出をこの大別荘内の数々のモニュメントに託していたのである。
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その他
| アレーナ付近から見たコロッセウム(colosseum)の様子 |
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ローマにある円形闘技場は通称コロッセウムと呼ばれている。これは元々、この付近にネロ帝の銅像(colossus)が置かれていたことから由来したものである。この闘技場は約5万人の観客を収容することが出来、ローマ市民の為に剣闘士闘技が提供されていた。
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| トレヴィの泉 −ローマ− |
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ローマにある有名なトレヴィの泉の水源は、紀元前19年、アウグストゥスの側近アグリッパの公共事業によりローマより数キロ先の水脈から水を引く為に建設された水道である。現在では、水道の終着点も変わり、モニュメントも18世紀のものである。
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| 自転車からのアッピア街道の眺め −ローマ− |
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アッピア街道は、紀元前4世紀末頃に建設された古代ローマ時代の公道である。この道は、その後、南伊のブリンディシ港まで引き伸ばされ、当時の人々にとって政治・軍事・経済における重要な交通路となった。また街道の両脇には当時の墓碑の跡が乱立している。
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| アッピア街道開通記念のトラヤヌス記念門 −ベネヴェント− |
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ナポリより北東へ60kmほど先のベネヴェントにはアッピア街道のブリンディシまでの開通を記念したトラヤヌス記念門が残っている。レリーフにはトラヤヌス帝による善行と戦勝の様子が描かれ、皇帝による内政・外政のプロパガンダの意義も有していた。
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